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哲学書簡 - lettres philosophiques sur les Anglais

英国在住の日本人の視点から英国人の考え方などについて徒然と書いていきます

92年生まれということ

先日「忘れ去られたゴミの92年生まれの私が見つけた、個性という名の呪いに効く薬」という記事を見つけました。「ゆとり世代」論は無数にありますが、ピンポイントで92年生まれに焦点を当てているのは面白いなと思い、私も同じ92年生まれとして92年生まれ論を書いてみようと思います。

まず、確かに92年生まれというのは「ゆとり最盛期」にも該当するとされ、かつこの「ゆとり最盛期」世代は「草食系」だとか「さとり世代」などと、メディアで色々言われてきているなという印象はあります。元気がない、車に乗らない、欲がない、飽きっぽくて堪え性がない、云々。実はほぼ同じことが英語圏でも言われています。日本では「ゆとり教育」という教育制度やその理念に対する批判をも込めて「ゆとり世代」と言われますが、ほぼ同じ世代を英語では「Millenials」あるいは「generation Y」と言います。そしてMillenialsについて言われていることはほぼ「ゆとり世代」と同じです。例えば、このHuffingtonpostの記事には以下のような記述があります。

"Millennials are the worst generation. They’re lazy, unmotivated, disconnected and they want a trophy for every little thing they do.”

中国にも似たような現象があると聞いていますが、詳しくはわかりません。いずれにせよ、「ゆとり世代」はそもそも特殊日本的現象ではなく、国際的に広く見られる現象です。「働きたくない」とぼやいているのは日本の「ゆとり」だけではなく、海外の同世代も同じなのです。従って「ゆとり世代」と「ゆとり教育」はそんなに関係ありません。単純にそれが万国共通の時流なのだというわけです。この背景にはゲームや漫画、アニメや音楽などのポップカルチャーの共通言語化があるかもしれませんが、ともかく私の世代、つまり90年代生まれというのはゲームやアニメと共に育ってきた世代だというのは間違いありません。

無論、そんなのは非常に大雑把な一般化であって、例外はいくらでもあるでしょう。しかし、私自身に関して言うと、メディアで挙げられているような「ゆとり世代」の特徴に「ギクリ」とさせられる時は正直結構あります。具体的に言うと、例えば私は(愛知県出身なのに)車にはほとんど興味はありませんし、というより機械全般に興味はありません。また私はテレビもさほど見ません。家族と暮らしていた時は見たい人が他にいれば見ていましたが、一人の時は基本的に消していました。かといって別にニコニコ動画やYouTubeを見て育ったわけでもないし、2chやニュー速に「民」として生息していたわけでもありません。勿論人並み程度には知っているつもりですが、別にそれほど詳しいわけでも興味があるわけでもない。少なくともこれらのオンライン・プラットフォームの主体が自分の世代ではないこと、あるいは少なくとも自分と同じような考えの人が多いわけではないことは少し見ればわかります。テレビや新聞も同じです。もっといえば学校や大学もそうでしょう。同級生でさえ、テレビやネットで言われていることを鸚鵡のように繰り返す人が多く、何でもいいから独自の意見を持っている人でさえ少ない。別に個性的でなければいけないというわけではありませんが、あまりに均質的で退屈だなとは感じていました。私は万事こんな感じですので、確かにメディアで言われているように何においても冷めているところはあると思います。そして、私の周りには大なり小なり私と同じように冷めている人も多かった気がしますが、それでも世間と折り合いをつけて、バカバカしいとは思いつつもと表面上は普通に楽しんでいるふりをしたりしていて、皆んな偉いなぁと私は遠くから見ていました。

とはいえ、これらは「ゆとり世代」にも「Millenials」にも共通する特徴を私も共有しているというに過ぎないでしょう。実際私は同世代の西洋人と話していても特に違いを感じません。むしろ上の世代の日本人よりも自分に近いと感じます。確かにイタリアやギリシャなど地中海系や東欧系、またイスラーム圏出身者からは「昭和の香り」のようなものを少し感じますが、英語圏やドイツ、フランス、スカンディナヴィアなどの所謂「先進国」の西欧人は本当にほとんど同じで違いがない。というのも、これらの西欧先進国と日本においては共に「過去の否定」と「非歴史性」(=普遍性)が現代文化教育の主軸となっているので、「普遍主義教育」の洗礼を受けた世代においては横軸の差(外国の同世代との差)よりも縦軸の差(同じ国の異世代との差)の方が大きいのです。

とはいえ、90年代生まれ、特に92年生まれは「ゆとり最盛期」などと言われはするものの、実は「昭和」から「平成」への移行期に該当する世代だと私は思っています。例えば、私が小学生の時にはまだ「体罰」は普通にありましたし、(とはいえ私が通っていたのは愛知県内の公立小学校です。東京ではこの時期にはもうなくなっていたかもしれません。)中学校になってもまだあったと思います。いや、高校でも場合によってはあったかもしれません。

そのことは文化面にも反映されています。まず音楽に関して言えば、92年生まれにとっては「オレンジレンジ」、「ポルノグラフティ」や「Bump of Chicken」、「Jeanne Da Arc」「Gazette」や「L'arc-en-ciel」、「浜崎あゆみ」、「大塚愛」や「YUI」、「ゆず」や「B’z」などが最も流行した時代が「青春時代」です。これは私の経験に基づく推測ですが、92年生まれの多くは恐らく小学校の音楽の時間に「世界に一つだけの花」を歌い、また校内放送では「以心伝心」や「さくらんぼ」が毎日のように放送され、中学校時代には携帯電話(携帯電話です、スマホはまだありませんでした。最初のiphoneが出たのは確か私が高校生の時です。)でダウンロードした「着うた」で自分の「個性」を表現しようとし、意味もわからないのに「のまのまいぇい」(本当は「Nu  nu  iei」で、原語はルーマニア語らしいです。意味は例えばフランス語に訳せば「pas moi pas moi, (tu) ne prends (pas moi)」という感じ。日本語なら「あなたは私を取らない(選ばない/連れて行かない)」という意味です。)は良い歌だと言ってみたり、高校時代には邦楽派は「GreeeN」やら「AKB」やらを聞き、洋楽派は「Lady Gaga」や人によっては「paramore」、「Taylor Swift」、「Miley Cyrus」などを聞いて育ったのではないかと思います。「きゃりーぱみゅぱみゅ」は本人が92年生まれですが、彼女のスタイルは同世代が慣れ親しんできたものとは異質です。むしろ彼女は自分が知っている音楽とは違うものを意識的に表現しようとしているのかなと私は考えています。

ゲームに関して言えば、92年生まれは最も純粋な「ポケモン世代」です。幼稚園の頃に初期版が、小学校低学年の頃に金銀版が、小学校高学年でルビー・サファイアが、中学校でダイヤモンド・パールが出てきて、つまり我々が成長すればするほどポケモンが増えていったわけです。この感覚は87-93年生まれくらいまでにしかわからない感覚だと思います。これより上の世代にとってはポケモンは「下らないガキのゲーム」ですし、下の世代にとっては最初からポケモンが沢山いる状態からスタートするからです。同じことが「遊戯王」についても言えるでしょう。92年生まれの子ども時代は無数の名作アニメの黄金時代と重なっているのです。ポケモンや遊戯王に限らず、「ワンピース」もそうですし、「ナルト」や「鋼の錬金術師」もそう。「20世紀少年」も「デスノート」も、92年生まれにとっては馴染み深いもので、ジャンプに掲載されている頃から読んでいる人も多いはず。従って92年生まれは実は昭和世代とある程度共通する基準でアニメや漫画を評価しているのです。「ワンパンマン」を見て「面白い」と思える土壌を持っている最後の世代が92年生まれと言ってもいいかもしれません。

またテレビ番組に関して言えば、92年生まれは「エンタの神様」を知っていますし、「笑う犬の発見」も知っていますし、また「はねるのとびら」を知っています。ドラマに関しては「ごくせん」や「マイボスマイヒーロー」、「野ブタをプロデュース」や「イケメンパラダイス」などを知っています。パーソナリティとしては、92年生まれは「島田紳助」さんや「みのもんた」さんを知っています。私は特にテレビが好きな方ではないのでそれほど詳しくないですが、それでもこの程度は日常会話等から自然に入ってくる情報で、私の世代においては「常識」となっていたように感じます。

ということで、総合すれば92年生まれは「昭和世代に育てられたゆとり世代」なわけです。我々が学生だった頃は、先生方もテレビや漫画の世界で活躍している人々もまだ昭和世代でした。従ってこれらの昭和時代の名残を全く知らない「下の世代」とはとてつもないギャップを「92年生まれ」は感じていると思います。「上の世代」に反発しながらも、しかしその方が理解は出来て、かつ「下の世代」の変わり様には何となくついていけないと感じているのが90-93年生まれくらいの特徴ではないでしょうか。

西欧の例を挙げると、90-93年生まれ、つまり92年生まれにとって「同世代」と思える範囲の人々はイデオロギー的に非常に中立的であるか、あるいは懐疑的です。これより上の80年代生まれ世代はネオリベ全盛の世代で、その上は新左翼世代ですが、逆に93年以降に生まれた下の世代は100%「リベラル」で「政治的に正しい」完全なPC世代です。もっとわかりやすく言えば、「pro-EU/pro-globalism世代」です。ネオリベ世代のThatcherismと下の世代の「Globalism」に対する無邪気な盲信を苦々しく見ているのが、その間に挟まれた90-93年生まれだとも言えるでしょう。

日本の場合は、92年生まれにとっての最初の選挙は民主党の没落に伴う自民党の復活選挙でした。もう選挙をする前から結果がわかっていたような選挙です。自民党が既得権益層だとするならば、結局野党に投票しても何もできないということを選挙権を持つ前に見せつけられて、自分たちが投票に行こうと行かなかろうと自民党が勝つのは必定である上に、その方が結局日本の為なのだということを飲み込まされているのが我々です。そういう意味では、シルバーデモクラシーに対し白旗をあげた最初の世代が我々の世代ということになるでしょう。「軍靴の音」云々というのもピンとこないが、かといって原発は明らかに問題だし、とはいえ景気が悪く就職氷河期などと脅されてきた我々にとっては有効な経済政策が最優先事項であるのも事実だし、ということで何となく「現実社会」に流されてきている90年代前半生まれ世代。そのちょうど中間に位置する92年生まれは、西でも東でもとにかく全てに関して冷めていて、他人や政治に期待していないというのは事実だと思います。もっといえば、我々は自分自身の能力にも期待していないし、将来に希望を持っているわけでもありません。

「終わった」世界を静かに生きて行く。高校を卒業してさあこれから大人になるという時期に東日本大震災を経験した92年生まれは、そんな感覚をどこかで持っているのではないでしょうか。