哲学書簡 - lettres philosophiques sur les Anglais

英国在住の日本人の視点から英国人の考え方などについて徒然と書いていきます

「真の哲学」とは何か

日本では「真の〇〇」というフレーズは至る所でよく聞かれますが、哲学に関してもこれは同様です。「アカデミック哲学」あるいは『「哲学」学』などと揶揄される、大学における研究者の哲学研究に対置されるものとしての「真の哲学」あるいは「本物の哲学」を希求する声は少なくともネット上では良く散見されます。

これに対し、例えば東洋経済に掲載されている、中島義道先生の『巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ - 「趣味としての哲学」は成り立つのか?』(2015年3月27日掲載)という記事では、アカデミアの立場にありながら哲学の裾野を広げようと活動されている中島先生ならではの経験に基づく視点から、巷の「ニセ哲学」に対する批判を展開されています。

無論、巷の趣味的「哲学」を冷ややかな眼で見ているのは中島先生だけではなく、他の大学に所属する「アカデミック哲学者」(ちなみに英語圏では card-holding philosophers ないし card-holdersと言います)の方々におかれましても同様であろうと思われますが、一般人に親切な中島先生だからこそ敢えて普通の研究者なら言わないことを公に公開されているのだろう、と私は勝手に想像しております。

ところが、面白いのは上記記事中における中島先生の「ニセ哲学」の範疇は実は一般に思われているよりも遥かに広く、よくある「アカデミア」vs「大衆世論」という形をとっているわけでは実はない点です。というのも、中島先生は「ニセ哲学」陣営に「マイケル・サンデル教授」までをも含めておられるからです。この部分の中島先生の記述は重要なので引用しましょう。

しかし、物騒なことに、あのハーバード大学のマイケル・サンデル教授のように、いろいろな人がまったく哲学とは縁もゆかりもないものを「哲学」と称して全世界にばらまいているのですから、困ります。

では、ホンモノの哲学とは何か? 前回にもちょっと触れましたが、存在とか認識とか自我とか時間とか、いやずっと絞っていくと、「存在」と「認識」だけでいいかもしれない、アリストテレス、いやもっと前から天才哲学者たちが問い続けてきた根源的テーマに関わり続けることです。存在論とも認識論とも格闘していない人が、いかにほかの分野で機転の利いたことを喋っても、それは中身のない金メッキにすぎません。

すなわち、中島先生は大衆の政治的ないし倫理的立場の表明を粉飾する為に「哲学」という言葉が使われることに対する批判的視座を示すのみならず、そもそもここで挙げられているサンデル教授が専門とする「政治哲学」を含むいわゆる「応用哲学」(applied philosophy)は全て本来は哲学の名に値しない「ニセ哲学」であって、「ホンモノの哲学」とは存在論及び認識論、即ち伝統的(アリストテレス的)「形而上学」のみである、と述べられているわけです。

応用哲学の範囲には政治哲学のみならず、倫理学ないし道徳哲学、法哲学、美学などが含まれますが、これらは中島先生にとっては全て「中身のない金メッキ」だということになるわけです。つまり中島先生の立場は単に「俗流哲学」を批判するのみに留まらず、アカデミアの一部に対する批判をも含む非常に挑戦的な立場なのです。

正直に申し上げると、私自身は中島先生の仰ることには一理あると思います。つまり、やはり西洋由来のPhilosophyの核心にあるのは形而上学(Metaphysics)であって、哲学の父はAristotelesであってSocratesやPlantonではないという見解には一定の説得力があると私は考えています。そうしてだからこそ「真の哲学」は「趣味的」ではあり得ないというのも確かにわかります。少なくとも、形而上学はそれ自体が自己目的性を持ち、かつ排他性を有する分野であること、つまり形而上学的探求とは全く関係のない活動を通して形而上学が発展するわけではないという点は端的に事実でしょう。

逆に言えば、これは形而上学以外の全ての応用的「哲学」に関しては、象牙の塔の研究者よりも現場の人間の方がより「真理」に近づくという点で有利な立場にあるかもしれないということを示唆します。「理論」をつくるよりも「実践」することが重要であるような全ての分野は純粋に学問的とはいえないので、つまり「哲学的」ではないという見解は、生活の現場にある「大衆」の立場からの「哲学は役に立たない」という哲学批判とも呼応するものです。

しかしながら、ここでひとつの疑問が生じます。歴史上において、この「真の哲学」、すなわち形而上学に貢献してきたのはどのような人達だったでしょうか。まずはアリストテレスが挙げられます。とはいえ高度な形而上学を展開したのはギリシャを含む古代ヨーロッパではアリストテレスが最初で最後です。プロティノスやアウグスティヌスを数えてもいいかもしれませんが、彼らは神秘主義や神学などの宗教的なるものと密接に関係しており、アリストテレスほど純粋に学理的であったとは言えません。

その後は回教圏においてアリストテレスが再発見され、Ibn TufailやIbn Rushd、またIbn Arabiといった、Ibn Sinaなどのあくまでイスラーム的正統性の枠内に収まった「本流」知識人達から異端視された「傍流」の知識人達によって「形而上学」が一時的に復活しますが、やはり宗教の桎梏は重く、アリストテレスの形而上学の「再生」以上のことを試みることは時代が許しませんでした。

他方、中世期にはインドにおいて逆に宗教が形而上学の発展を促し、サーンキヤ学派の二元論やヴェーダンタ学派の様々な一元論的存在論が展開され、またニヤーヤ学派が論理学を発展させ他学派に多大な影響を与える一方で、仏教徒も独自の論理学を発展させ、ディグナーガやダルマキールティなどの優れた論理学者を輩出します。形而上学の発展という点では初代シャンカラの他学派批判は非常に高度で最も純粋に学理的と言えるでしょう。残念ながらシャンカラによる自己の奉ずる不二一元論擁護論は、部分的に学理的でもあるとはいえヴェーダ聖典の権威に基づく「直証」に頼る部分が多く、従って神秘主義的色彩を色濃く帯びていますが、それでもシャンカラの他学派批判はライプニッツに並べても良いほど高度に学理的なものです。その意味では、7世紀から8世紀の時点では、インドの方が西欧よりも「真の哲学」が発達していたと言えるでしょう。

同じ時期の中国では、「格義仏教」と呼ばれる初期中国仏教の時代に、僧肇という実に優れた学問僧が、老荘思想と仏教思想の共通部分を一元論的なものと理解する見解を非常に学理的に示しています。しかしこれはあくまで初期仏教徒の間で一時的に生じた奇跡であり、その後日本を含む中華圏では一切形而上学的発展は見られず、むしろ格義仏教時代に提出された見解を宗教化、倫理化し、つまり「実践的」なものへと変えていく試みが興隆します。禅宗の成立はこのひとつの現れでしょう。また同時に仏教や老荘思想を含む「異端」思想は朱子学の成立以降極度に嫌われるようになったので、東アジアではこれ以降「思想/哲学」=倫理・政治思想という図式が確立し今日に至ります。

西欧に戻りましょう。西欧では中世になるとAnselmusやAquinasが出てきます。この二名の「聖人」は西欧の形而上学の発展史の上で決定的に重要です。特にAnselmusによる神の「存在論的論証」の反駁こそが、カントの「純粋理性批判」の肝であり、つまりカントが「純粋理性(reine Vernunft)」と呼ぶこの哲学的直観の能力こそ、所謂「形而上学」の核心なわけです。それ故、カントはこの存在論的論証の反駁を以って「形而上学の終焉」を宣言しますが、カント研究者であられる中島先生がむしろカントが捨て去ろうとした「存在論」という「形而上学」を「真の哲学」であると認識されているというのは実に興味深いことです。(中島先生は実はカント主義者なのではなくて「カント哲学というトラウマ」を乗り越えようとしておられるのでしょうか?)

ともかく、Anselmusの存在論はほぼそのままデカルトに引き継がれます。デカルトの場合はAnselmusの「偉大さ/Greatness」ではなく「完全性/perfection」を基にしましたが、論理的にはほぼ同型の構造です。デカルトの形而上学はスピノザにおいて美しい形而上学体系に昇華され、この美しさを犠牲にしつつもより分析的・経験論的な英米人にとって理解し得るもの、つまり経験科学と親和的なものへと変換しようと試みたのがライプニッツです。現代の英米形而上学は基本的にライプニッツを原点(=仮想敵)とし、これに対する英米的(=経験科学主義的)批判によって成り立っています。実はDavid LewisのPossible Worldsの概念も、最初に提言したのはライプニッツです。(尤も、ライプニッツはLewisのようなconcretismの立場よりもabstractism/actualismに近い立場でした。)逆に、現代の大陸形而上学はカント以降の「無神論的」形而上学をハイデガー、またサルトルを始めとする幾多のマルクス主義・左傾哲学者達が展開しいったことで発展してきましたが、第二次大戦以降の大陸哲学は極度に倫理化・実践化していったので形而上学思考は自然消滅し、近年は英米分析形而上学の強い影響下にあります。強いて言えば、Deleuzeらによるスピノザの「無神論的」再解釈が最近の大陸哲学における唯一の形而上学的側面であると言えるかもしれません。

というわけで、世に数多くの哲学者ありといえども、「真の哲学」たる形而上学は最初の原点となるアリストテレス、次にアリストテレスの形而上学を神学と親和的なものとして展開したアンセルムスとアクィナス、アクィナスの影響の下で再びアリストテレス的形而上学を復興したデカルト、スピノザとライプニッツ、最終的にこれら一切を批判し「克服」したと信じたカント、の約七名の思想を基礎として成立しているに過ぎないのです。私自身はこの中でもアリストテレス、アンセルムス、スピノザが最も重要であると考えていますが、最近の英米形而上学界ではプラトン主義(Platonism)も復権してきており、アリストテレスからライプニッツまでの「合理主義」に対し、ヒューム(カントの合理主義批判はカント自身が認めるようにヒュームに負う部分が大きいとされます)をベースにプラトン思想の一部を利用することで成立する「新・経験主義」が現代の英米形而上学の主流派を形成しつつあります。

これはどういうことを意味するかというと、まず第一に、中島先生の仰る「形而上学」、特にアリストテレス以来の「合理主義形而上学」(デカルトの時代にはこれが「第一哲学」と呼ばれていました)こそが「真の哲学」だという見解を取るならば、現代の経験主義的な「哲学」、すなわち一切の分析哲学は「金メッキ」に過ぎない「ニセ哲学」であるという結論を導くことになります。かつ、この「ニセ哲学」の跋扈が「真の哲学」をフランスからも、ドイツからも、また日本からさえも放逐してしまいつつあるので、要するに「真の哲学」は実は日本のみならず世界中どこにも存在していないか、あるいは絶滅が危惧されている(endangered)ということになるわけです。

第二に、そもそも形而上学を担った過去の哲学者は、誰もアカデミックポストを持っていません。アリストテレスは教師でしたが、アレクサンドロス大王など、王族や貴族の家庭教師です。デカルトやライプニッツもやはり社交界の知識人であり、例えばデカルトもアリストテレスのようにベーメンのエリザベス女王やスウェーデンのクリステーィナ女王など、数々の王侯貴族の招聘を受けています。ライプニッツは更に社交上手で実に広い範囲の人々と関わっていますが、教壇に立っていたわけではありません。スピノザもデカルトやライプニッツほど派手ではありませんが、一応ライプニッツやその友人などと一定の関わりを持っており、あくまで知識人サークルの内側に留まっていました。そのおかげか、ファルツ選帝侯から大学教師として招聘を受けてもいます。ところがスピノザ自身は「研究に支障が出る上、私の思想は公衆に説くためのものではない」とこれを明確に断っているので、そこがスピノザらしいところですね。また、最も徹底した経験論を展開したヒュームも、皮肉なことに最も徹底した合理主義者であるスピノザと同様に独学の哲学者であり、形而上学を本業としていたわけではありません。ヒュームを有名にしたのは「イングランド史」という政治的な歴史書であり、スピノザを有名にしたのも「神学政治論考」という政治思想書です。元々貴族で環境に恵まれたデカルトやライプニッツは最初から知識人サークルでも持て囃される存在でしたが、スピノザの場合は政治的に論争的な書を、ヒュームの場合は純粋に売れそうな大衆向けの書を世に出すことでその名を世間に知らしめたのです。そういう意味では、ヒュームまでの哲学者は全て経済的に不自由のない貴族であるか、あるいは「ニセ哲学」を世間に提供することで何とか名を残しつつその合間に「第一哲学」をこっそり「趣味的」に温めてきた人々ばかりで、「第一哲学」それ自体を生業として生計を立てていた人はいないと言えるでしょう。言うまでもなく、インドのバラモン聖者達や仏教徒も例外ではありません。彼らはあくまで宗教者であるから生計が立っていたのであって、思想を売っていたわけではないのです。イスラーム知識人も、イスラーム独特のマドラサ制度や信者の「喜捨」に頼る部分が多かったはずです。宗教あるいは特権階級の保護という背景無くして第一哲学は成り立たないのです。

皮肉にも、形而上学を批判したカントこそが形而上学史の中で重要な哲学者の中では最初の「アカデミズム哲学者」の例です。こうしてみると、「アカデミズム」それ自体が「第一哲学」ないし「形而上学」との相性が悪いものであるということが何となく見えてきます。実際、伝統的な形而上学「だけ」を専門とする職業哲学者は英米でも非常に少ないです。多くは「哲学史」研究あるいは「科学哲学」という隠れ蓑に助けられ何とか生きながらえているに過ぎず、哲学史とも科学哲学とも関連しない純粋な「形而上学」は、既にアカデミアの内側においてもほぼ絶滅しているか、「宗教哲学」(philosophy of religion)という神学や心理学に隣接する分野(つまり真理の探究とは関係の無いもの)として扱われることで辛うじて残存しているに過ぎません。最近はやりの英米流の「言語哲学」というのも、「現代形而上学」の一大分野と公式にされていますが、これ自体が伝統的な第一哲学の否定をそもそもの出発点にしています。ということで、「真の哲学」あるいは「第一哲学」の専門家は今も昔も存在していないか、散発的に出現するだけであり、かつ彼らの多くは「第一哲学」を生業とはせず、「趣味的」に、とはいえ多大な時間をかけて、発展させてきたと言うべきだと私は思います。そもそも現代の大学の職業学者というのも、公式的には「研究者」というよりは「教師/教授」としての仕事に給与が払われているわけで、「研究」に対しての報酬もあるとはいっても「質より量」で評価されているのは事実ではないでしょうか。執筆した論文の本数や被引用数のみが評価軸になれば、必然一般の関心を呼びやすい「より実戦的」な方向へと流れていくのは当然です。それが「社会に対して責任を負う」アカデミズアという教育機関の宿命ならば、「大学の外でしか真の哲学は生まれない」という命題は一応論理的には正しいでしょう。

尤も、「大学の外」で「哲学者」を自称する人々の中に「ただのひとりもその(哲学的)才能を見いだしたことはない」という中島先生の個人的経験則の真実性を否定はしません。そもそも、そんな特別な才能を持った人はキリスト生誕以降この2000年の間に全世界を合わせても百人も出ていないのです。第一哲学の歴史的あるいは文化的土壌が存在しておらず、一般に人々の倫理的・政治的関心が非常に強いとされる日本においてそう簡単に見つかるはずもないでしょう。よほど特殊な条件が揃わなければ、純粋に第一哲学に人生の貴重な時間を割こうと思うような人は出てきません。

とはいえ、アカデミズムの世界に入れば「真の哲学」が出来るし、また「哲学の才能」に溢れた「真の哲学者」が沢山いるというのも非現実的な楽観論だと私は思います。大学やアカデミア自体はそんな特別な場所ではない。結局は本人次第ですし、大学に所属することによって得られるのは才能を開花する機会ではなく、単に研究成果を発表する権利であって、つまり形式的なものに過ぎないのではないでしょうか。「発表する権利を持たないこと」=「才能がないこと」という図式は、あまりに「世間」の才能評価能力を過大評価し過ぎているというか、あるいはopportunisticな見方であるように思われます。

ちなみに、最近の英米系のアカデミック哲学者にも優れた「真の哲学者」は少ないですが実は結構います。中でも最も輝いている哲学者の一人に私はLaurence Bonjourを数えたいと考えています。そのBonjourによる名著のタイトルは「In Defense of Pure Reason」です。形而上学を破壊したカント(の「純粋理性批判」の英語名はCritique of Pure Reasonです)への批判的視座から本書が成り立っていることはこのタイトルからも明らかでしょう。これは全てのカント主義者が一度は目を通すべき名著だと私は思います。またAlexander Prussも哲学史的なアプローチとはいえ、最近の研究者の中では群を抜いて優れている。

しかしこれはあくまで英米分析哲学の世界においては、の話です。彼らの貢献に思想史に残るほどの体系性があるかと言われればその点はよくわかりません。個人的には、あくまで分析哲学の脅威から第一哲学を分析哲学の手法で守るきっかけを提供してくれている、というくらいの感じかなと私は思っています。

ということで、結論としては私自身は「学歴」や「学位」の有無と「(第一)哲学的才能」には相関関係も因果関係も全く無いという、Ibn Tufail以来の独学主義(autodidactism)の立場を擁護したいと思っています。

試しに、歴史上の例を挙げていきましょう。シャンカラは30代(諸説ありますが、一般には32歳説が通説です)で、スピノザは44歳で夭折していますが、とはいえスピノザが短論文を書いたのはもっと若い頃(約28歳頃)なので、「哲学的才能」が30代以前の非常に若い頃に発現するというケースは決して珍しくはない。デカルトも省察を出したのは45歳の時で、スピノザが死没した時期とほぼ同じです。実はアンセルムスがProslogionを書いたのも約44-45歳の時で、またアクィナスがSumma Theologicaを書き終えたのは45-47歳の頃ですから、通常は40代前半までには壮大な体系に仕上がるという傾向があることがわかります。その意味で、主著となる書物を57歳という老齢になってから発表したカントは、私が先に挙げた七名の中ではむしろ例外的存在です。

かつ、シャンカラは伝統的な出家修行者で、アンセルムスやアクィナスも当然神学教育しか受けていません。スピノザの場合もユダヤ教の伝統的ラビ訓練教育、つまり神学教育を受けただけで、デカルト哲学は自分で本を読んで学んだだけです。そのデカルトは高等教育を受けたとはいえ、学んだのは神学、医学、法学という伝統科目であり、しかもこれらを20歳までに修了しています。つまりデカルトは神童ですが、あくまで知識吸収型の教育を超特急で突破したに過ぎず、別に「哲学」を「専門的に学んで」はいないのです。アリストテレスについては記録が少ないのでよくわかりませんが、アリストテレス以前に第一哲学はそもそもないという立場を取るのなら、アリストテレス自身はプラトンが教えていないことについては基本的に独学したのだと考えるのが自然でしょう。とすると、この面でもやはりカントだけが例外ということになります。

ということで、本来は才能のある人が20代頃から40代前半頃までにかけて第一哲学を基本的には独力で開発する、というのが事実上の「伝統」であったのに、これをカントが「コペルニクス的に転回」してしまったというのが実相だとするなら、カントを基準に形而上学を語るのはちょっと違うということになるのではないかなと私は思います。

換言すれば、人間は生得的に真実を知る能力を持っているが、これが「道徳教育」や「経験」によって形成される偏見によって歪められることで濁っていくのであり、「哲学者」というのはこうした「偏見」から免れている状態にある人のことを指し、また「哲学的才能」というのは意識的に偏見に囚われることを避けようとする傾向のことを指すのではないかなというのが私のa priori主義的哲学観です。

もっと俗な言い方をすれば、誰もが生まれた時は哲学者的だが、大人になっても哲学者であり続けることが出来る人は非常に少なく、また哲学者とは意識的に永久に子供であり続けようとしている人のことを言う、とも言えます。

更にざっくり言えば、いかなる倫理的感情にも動かされずに直観的真実を歪めることなく受け止められる冷めた眼こそが哲学的才能なのではないでしょうか。そう言う意味では、私は老獪な高齢の知的権威よりも子供の純粋無垢な濁りなき批判精神からこそ哲学者は学ぶべきだと思います。