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哲学書簡 - lettres philosophiques sur les Anglais

英国在住の日本人の視点から英国人の考え方などについて徒然と書いていきます

アサド政権について

Le Figaroにシリア大統領アサド氏のインタビューに関する記事が載っていました。

これまで通り、信用すべきなのか「レトリック」として冷笑すべきなのかわからないような妙なことを今回も述べているようです。上記リンク先の記事にはこうあります。

«La politique de la France depuis le premier jour est de soutenir les terroristes, d'être directement responsable des tueries dans notre pays», affirme Bachar el-Assad. Il accuse le président François Hollande d'avoir «envoyé de l'armement à des groupes modérés qui sont en fait des terroristes».

 また、トランプ氏の「ムスリム入国制限政策」に関しては、「理解できる」としています。

Interrogé sur le décret anti-immigration du nouveau président américain, qui vise notamment tous les immigrés en provenance de Syrie, il semble le trouver justifié: «Ce n'est pas le peuple syrien qui est visé ici. Ce sont les terroristes, qui pourraient s'infiltrer à travers certains immigrants venus à l'Ouest.» Il rend hommage à l'action de Vladimir Poutine dans son pays. «Les Russes respectent notre souveraineté, chaque étape est franchie en coopération avec la Syrie. Nous sommes les décideurs. Sans ce soutien des Russes les choses auraient été pires. 

 トランプ氏が制限しようとしているのは「テロリスト」であり、「(善良な)シリア市民」ではないので、アメリカがこのような行動を取るのも正当だ(justifié)だと考えているようだ、とこのジャーナリストは判断しています。またロシアがシリアの「主権」(souveraineté)を尊重しており、ロシアの援助がなければ状況はもっと悪くなっていたであろうと言っています。

またラッカを攻略したところで、ラッカはDaeshのシンボルに過ぎず、本拠地でも何でもないのでDaeshそのものを攻略したことにはならない、ラッカだけがDaeshではないと述べています。

 «Ces attaques n'ont pas nécessairement été préparées à Raqqa. Raqqa n'est qu'un symbole de Daech». «Il y a une présence de Daech près de Damas. Ils sont partout. Ils sont à Palmyre en ce moment et dans la partie Est de la Syrie: alors non. Il ne s'agit pas que de Raqqa». 

そして、問題の本質はDaeshではなく、Daeshは問題から生じる「結果」に過ぎないと述べています。真の問題は「イデオロギー」であり、かつその「イデオロギー」は別のアルカイダ系のグループal-Nosraにも共有されているものだ、とアサド氏は言います。

Pour lui «Daech est une conséquence et non le problème. Le problème d'origine, c'est l'idéologie, la même que le front al Nosra (NDLR: groupe islamiste issu des rangs d'al-Qaida et opposé au régime )».

池内先生の「イスラーム国の衝撃」においても「ラッカ」という地が「象徴的」意味を持つ地であること、またDaesh側も象徴効果を狙って演出しているという点が解説されていましたが、アサド氏もこの点の認識はほぼ同様のようですね。

問題の本質は「イデオロギー」であるという点も、大きく間違ってはいないと思います。つまりアサド氏は確かに自分の立場を弁解する為に自分に都合の良いプロパガンダ発言をしているという面は当然あるにしても、そもそも彼が残虐な独裁者として振る舞わざるを得ないのは彼の人間性や資質に問題があるというよりも、背景に強烈なスンナ派の過激思想があるからなのだとすれば、アサド批判にどれほどの道義的正当性があったのかは疑問視せざるを得ません。

あるいは逆にそう思わせて自己利益を確保することがアサド側の狙いなのでしょうか?しかし、シリアにおいてアサド家の属するアラウィー派どころかシーア派全体が常時危険に晒されているというのはやはり事実でしょう。そう考えると、アサド政権の勝手な言い訳と片付けられる話では必ずしもないように思います。

いずれにせよ、西欧の基準で非西欧地域の混乱の原因をつくっている「邪悪な支配者」を特定しようとしても何も見えてこないというのが実態なのかもしれませんね。

西欧側はどうしてもアサドが全てを支配し全てに対して責任を負っており、またラッカを攻略すればイスラーム国は壊滅するはずだと考えたいようですが、実際はどうなのでしょうか。

例えば戦前の日本を考えてみても、「天皇」はおろか「首相」でさえも必ずしも完全に自由に意思決定をしていたわけでもなく、また出来ていたわけでもない。「邪悪な独裁者」の実像が、実は強硬論に反対すれば殺されるか職を追われるという状況の中、出来る範囲で事態を沈静化させようとする「エリート」であることもあり得るし、またそのような強迫的状況をつくっているのは官製プロパガンダでも特定人物のイデオロギーでもなく、民衆に根ざした道徳感情であったりすることもまたあり得るわけで、そうだとするとこの状況を変える為にすべきことは、もっと破滅的な結果を招きかねないほど困難なことかもしれない。

「政治的安定」の為には「少数派優遇」などの厳格なリベラリズム(perfectionist liberalism)が認めない「逸脱」も多少は許されるどころか奨励されるとまで主張する(この主張はこれを広めたRawlsの命名に従ってPolitical Liberalismと呼ばれているようです)M. Nussbaumに代表されるような現代の「政治的リベラルリズム」(political liberalism)の代弁者も、こういう時には「安定性/stability」よりも「正義」を優先するのが常です。ですが、むしろこういう時にこそ「stability」を優先すべきで、対処できないほどの大規模な難民を生み出すような反独裁政権工作は必ずしも最善ではないとは考えないのでしょうか。

まあ、考えないでしょうね。彼らは「進歩」の為に何でもすべきことをとことんすべきで、一時的安定の為に妥協するつもりはありませんから。少数派を優遇するようなタイプの不正義は進歩的であるから許されても、独裁者を許容するような不正義は非進歩的なので許されない。

西欧がこういう姿勢を「非西欧」に対してもとり続けるようなら、この混乱は半永久的に永続化するでしょう。西欧側も最近は「疲れて」きているので、一時的に進歩主義を「中断」しようという機運が高まりつつあるのは事実ですが、トランプ氏や「極右」政党の路線が長期的に受け入れられ伝統化するという兆しは今の所全くありません。西欧はあくまで進歩のための努力をしていくでしょうし、反進歩的な思想の「体現」に対しては一切妥協することはありません。つまり個人レベルでの「信仰」には口出ししないしむしろ全力で保護しようとするとしても、それが「政権」として体現されればこれを全力で否定するのが西欧です。

このような形での「思想の脱政治化」を進めていくことが西欧的進歩の基本的方向性であって、思想を「現実化」する自由は、西欧の価値に反する思想にはありません。そういう意味では、laïcitéを強制しているのはフランスだけではなく英米も同じです。フランスは国内政策上でlaïcitéを法制化しているので、英米はこれをもってフランスを「暴力的」であると批判しますが、国際政治においてこれを事実上行動で示しているのはむしろ英米側でしょう。

ということで、アサド氏の対談に関しては以上です。ここからは完全に余談です。(あるいは独り言です。)

日本の仏教や神道、中国の儒教や老荘思想、またインドのヒンディー思想などは既に「西欧の視点」から「オリエンタルなもの」の代表として「平和思想」として体系化されてしまっています。かつて日本はこれに「大日本帝国」という新たな戦闘的イデオロギーによって挑戦しましたが、それでさえ「大東亜共栄圏」という「平和主義的なオリエント」という西欧的偏見を逆に利用したもので、オリエンタリズムをある部分では内面化していました。

イスラームもやはり一時はこの「オリエンタリズム」によって「平和化」されそうになっていましたが、プライドの高いアラブ人達は此の期に及んで抵抗を見せ、しかも聖典解釈を「過激化」する(コーランは確かに元々戦闘性の高いものですが、テキストに基づくオリエント化を拒むほどではありません)ことで「オリエンタリズム」に対して正面から挑戦状を叩きつけている。

暴力は決して正当化できないしまたされるべきでもないが、イスラームの「テロリズム」は、鳥瞰的に見れば「オリエント」を勝手に「平和化」しようとする西欧の「傲慢」に対して、「オリエントの暴力性」を誇示することで「オリエンタリズム」に抵抗しようとする、悲しき実験なのではないかという気がしなくもありません。

他方、最近は西欧でもリベラル派の間で「時には暴力も辞さない」という過激リベラリズムがにわかに流行しつつあり、例えばBerkeleyにおけるMiilo Yiannopoulosという人の講演に反対するデモ隊による暴力は「正当」でかつ「成功」であったという見方をする人もあります。また先日フランスでは悪名高きサン・ドニのBobignyという場所において「警察によるマイノリティに対する暴力」があったとして、これに反対するという名目の暴力的デモが生じましたが、これもパリやマルセイユで後に続くデモが発生するなど、全く否定的に捉えられていないどころかむしろ肯定的に正当化される向きがあります。

このように、西欧における「political correctness」は「トランプ大統領誕生」を経て新たな段階へ移行しているように思われますが、彼らもまた過激化していくことで大衆的支持を徐々に失っていくかもしれない一方、大衆がリベラリズムから決定的に離れた時にはこの過激リベラル層が本当にイスラーム主義と合流する可能性をも秘めていると見て私は個人的に注視しています。

 

参考文献:

Nussbaumは現代の西欧のリベラル派的な考えを最も的確に表現している論者の一人ですので、もし「西欧のリベラル派的な考え方」に関心を持たれておられる方がおられましたら以下を一読されることをお勧めいたします。

Nussbaum, M. (2011). Perfectionist Liberalism and Political Liberalism: Perfectionist Liberalism and Political Liberalism. Philosophy & Public Affairs, 39(1), 3-45.